2012年5月21日月曜日

荘子とスティーブ・ジョブズの言葉にしびれてみる

荘子は春秋戦国時代に生きたとされるが、
名声を聞きつけた国から宰相に請われたことがある。
荘子はそれを断る。
自由を選んだのだ。
自由を選ぶことは決して楽なことではない。
生活も段違いである。
宰相といえば、今でいう総理大臣のような立場である。
人民が到達できる最高位である。
そんな生活よりも自由で、貧乏な生活を選んだ。
荘子は、疲れる日常よりも、自由で貧乏な日常を選んだ。

この荘子の選択は、
会社で上司の顔色を伺いながらコツコツと出世していくこと選ぶのではなく、
現在のノマド生活、フリーエージェントの生活を選ぶことに似ていないだろうか?

どちらが正しいということではないのかもしれない。

辛いけど、煩わしい社会の中で生き、ストレスを感じながら、
日々疲れるけれども、生活は安定するという選択。

自由で気ままで、人との関係でのストレスはないが、
貧乏で、安定しない生活。

どちらを選ぶかは、それぞれの人の選択次第だろう。
どちらのメリットもデメリットも消そうと思えば消せる可能性もある。

こういうことを考えて、
これからの人生を考えることも、
たまにはいいのかもしれない。

荘子や老子は、大きな目で見れば、
日々のつまらぬ不安や不満は、どれもくだらないことに見えるとも言っている。
こんなことで悩むこと自体も、彼らにはつまらぬことなのかもしれない。

スティーブ・ジョブズの言葉
『今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいか?』
も、荘子の思想につながる言葉なのかもしれない。


「荘子」の人間学

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