『彼(荘子)に言わせれば、世間でもてはやされる知識や能力は、
しょせん「小知」にすぎないのだという。
なまじそんなものを持てば、
いたずらに人間を傲慢にし、
他人を見下して、いさかいが絶えなくなる。
その結果、人を傷つけ、わが身を破滅させることにもなりかねない』
(『荘子の人間学』守屋洋より引用)
とても耳に痛い言葉だ。
会社で使える知識や能力など大したことはない。
どの人も、そう大差ない能力しかない。
なのに、偉い人、偉くない人という差が生じ、
命令する側と命令される側に別れる。
こういう人を誰もが頭に浮かぶほど、
多いのではないだろうか?
自らの反省もしなければならない。
荘子の視点からみれば、恥ずかしい限りだ。
世の中では荘子の言うところの知識や能力がもてはやされがちだ。
そんな能力や知識は荘子に言わせれば「小知」でしかない。
「小知」にとらわれた人間は愚かでしかない。
その愚かさから免れるには「大知」を目指すしかない。
『「大知」を身につければ、
すべてのものをあるがままに受け入れて、
みだりに小細工を弄さなくなる。
自他の差別にもとらわれず、
すべてのものを大きく包み込んでいく。
些細な知識や能力を鼻にかけて、
人を見下すこともしなくなる』
(『荘子の人間学』守屋洋より引用)
つまらない世の中で生きていくのに、
せめて「大知」を身に付けて、飄々と生きたいものだ。
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